江戸時代権堂村に人出数万人
 長野の煙火の歴史は古く、江戸時代から盛んであったと伝えられています。そのひとつとして、権堂村(今の権堂町)の遊女屋が、遊客を誘う一法として煙火大会を催し、これが当たって近隣近在から見物人が押しかけ、大変な賑いであったそうです。
 当時の記録によれば「商店、旅館の繁昌は云うばかりでなく料理屋、飲食店は客で充満し、遂にはどこへ行っても芋の煮ころがしひとつ買うことの出来ぬほどの盛況を呈せり」と、賑いのすごさが記されています。


明治32年 第1回長野えびす講煙火大会
 長野のえびす講に煙火を打上げて景気を添えることになったのは、明治32年のことです。第1回目は、玉の大きさも四寸、五寸がおもで、七寸は大玉に属していました。尺玉ともなると最も珍しがられていましたが、その技術は後世の二尺玉(二十号玉)の大輪の技へと引き継がれていきました。


大正5年 日本で最初の色二尺玉打上げ色
 大正5年、長野商工懇話会主催の煙火大会で、日本で最初の二尺玉を打上げ世間をアッと驚天させました。
 昭和3年の30周年記念には二尺玉七発をはじめ、尺の早打ち十発など大玉早打ちの先例をひらきました。戦前、戦時中の中断を経て、戦後復活の年から、主催は今の長野商工会議所と長野商店会連合会に移りました。


出世煙火とまで称えられる全国屈指の色煙火大会
 すでに大正時代には、えびす講煙火大会は煙火師を厳選し、技術が未熟な者の参加を許さなかったことから、全国の煙火師にとって長野のえひす講煙火大会への参加は“出世煙火”とまでいわれるようになりました。
 今日の煙火ぱやりの時世においても、長野のえぴす講煙火大会はその質の優秀な点で全国の王座を占めています。また、近年は全国屈指の煙火師を招いての新作花火コンテストもあり、ファンを魅了しています。


全国に知れわたる長野えびす講煙火大会
 冬季オリンピック開催都市NAGANO。近年の交通網の整備により、日本中から大勢の花火ファンが気軽に長野においでいただけるようになりました。
 全国でも珍しい11月の煙火大会。絢爛豪華な打ち上げ花火が澄んだ晩秋の夜空を彩り、花火評論家をして「一度はこの花火大会を見ておかないと」といわしめるほどになっています。






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